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みらいきってができるまで〜18歳OL編

私のキャリアは高校卒業してすぐに始まりました。

家庭の都合で大学進学への道は叶わず、高校を卒業してすぐに就職したからです。

「国語の教師」か「広告会社で働く」という夢は叶うことなく建設会社に就職し、営業事務に配属されるという、個人的には不本意な形でのスタートでした。

私が勤めていたのは、地盤調査と補強工事を行う建設会社。

不本意な形でのスタートだったとか言いながらも、好奇心の塊だった18歳。入社した直後から楽しく前のめりにガシガシ働いていました。

↑今から23年前。18歳の頃。先輩から「仕事できるっぽく撮ってあげるよ!」とか言われて仕事してる風の写真を撮ってもらった

どれくらい前のめりなのかというと・・・

若気の至りなのか、ふとした疑問を口に出しただけなのか忘れましたが、営業マンの成果や仕事っぷりについて、いきなり口を挟み始めたのです。いきなりどうしてん私。

さらに見積もりの作成方法を教えてもらい、工務店とのやりとりを任せられるようになった18歳の私は、見積もりを見てこんなことを思ったのです。


「3〜10万円程度の地盤調査で、この会社は本当に利益が出ているのか?どこで稼いでいるんだ?!」

心配は不安に変わりました。

全国に営業所があり、社員数もかなりいる会社。

これは倒産するにちがいないと思いました。(世間知らずの18歳)

不安は行動に変わり、気づけば専務室に行って「この会社はどうやって稼いでいるんですか?」と尋ねていました。18歳の私に怖いものなんてない。

専務は
「地盤調査は安いけど、その後の工事で利益を出している。阪神大震災で家が倒壊した原因が“軟弱地盤”だったこともあって、需要があるんだよ」みたいなことを言っていた気がします。

理解したら話は早いのです。

営業部に行き、「工事だ!工事につなげるんだ!」と、現場監督のように喝を入れるなどしてみました。(世間知らずの18歳)

18歳の私は、会社を倒産させまいと必死でした。(実際は倒産する気配などなく、翌年は社員旅行でグアムへ行きました。余計な心配しなくて良かった)

営業マンからは「工事につなげたらいいのは分かってるんだけど、それが難しいんだよ…」という弱気な発言が聞こえてきました。落ち込むんじゃない。弱気になるな。大丈夫か?何があってん。

18歳はまた考えるのです。

工事へつなげるための、いわば提案書とも言える「地盤調査報告書」。これが分かりにくいんじゃないかと。予想は当たり、専門用語たっぷりの分かりにくい報告書がネックになっていたようでした。

営業マンに話を聞いたところ、自分達も結局のところ報告書に書かれている詳細についてはよく分かっていないとか言い出したのです。

「わからないことを放置するんじゃないよ!小学1年生でもわからないことは先生に聞くんだよ!」そんな気持ちで所長の席に行き、「この地盤調査報告書は誰が作っているんですか!」と聞き取り調査を行ったところ(なんだそれ)、資格保持者しか書けないとのこと。

おうおう、なるほど、と。私もその資格とやらを取れば「地盤調査報告書」を作れるんですね!とか言い残し、半年後に行われる資格試験を受けることにしました。18歳は、地盤調査報告書を作るより彼氏を作るための努力をするべきです。

総務部に置いてあった問題集をもらって、やる気に満ち溢れたまま、意気揚々と家路に着きました。

どうやらこの資格、現場経験者が有利とのこと。そこで、工事部のおじさんに頼んで現場に同行させてもらうことにしました。

ヘルメットを被り現場へ入り、サウンディング機械というものを触らせてもらったり、地面のレベルを測らせてもらったり。色々とツッコミどころはありますが、単純に楽しい経験でした。

仕事から帰宅した後は、早朝1〜3時くらいまで試験勉強をし、無事、地盤調査技師という資格を取りました。高校を卒業したばかり。徹夜で期末テストの勉強をしていた翌年のことなので、徹夜の勉強は楽勝でした。頭の中では「巨人の星のテーマソング」が流れてました。

正直まったく興味のない資格で、今でも何であんなに頑張ったのか自分でもよく分かりません。ただ一つ思うことは、きっとどこの会社に就職していたとしても、どんな分野であっても同じように全力で頑張っていたと思うのです。

名実ともに地盤調査報告書を作成できるようになった私は、日中の勤務時間内では作成する余裕がないため、10冊以上の工事書類を持ち帰り、自宅で夜な夜な調査報告書を作成することにしました。

専門用語ばかり使うと伝わらないので、なるべく分かりやすく作成する努力をし、付箋には「どちらの工事も強度は上がりますが、費用面では〇〇工法、全体的な強度を増すなら〇〇工法がおすすめです!」というように、営業マンが提案しやすいメモも付けていました。

実際、営業部の成績は全体的に上がり始め、営業事務として入社したにもかかわらず、1年後には営業として住友林業の案件や地盤保証会社の担当を任せてもらえるように。

受注もしっかり取り成約率も高く、評価いただきました。

その頃社内では、キャリア補助として土日にCADの講師が来て図面を書く勉強会が開催されていたのですが、なぜか私は皆勤賞で参加して図面を一生懸命描く日々を送っていたのです。

そうこうしているうちに、資格保持者&CADの図面が描けるということで、念願の技術部に異動することに。給料は一気に上がりウハウハでございました。

技術部に配属して間も無く、会社が新しい工法で特許を取得したと知らされました。

技術部では新特許工法を使って工事を行なった場合の、地盤の強度についての勉強を余儀なくされました。

しかし、いくら勉強しても営業マンが仕事を取ってこないのです。勉強し損です。勉強してるんだから仕事とってきなさいよという気持ちになりました。

営業部に潜入し聞き耳を立てていると、どうやら、そもそも新しい工法自体がお客様に知られていなくて、従来の工事ばかり受注しているとのこと。

ホームページにも掲載されていないという声が、チラホラと耳に入ります。

私はすぐに総務部へ行き「新工法について、ホームページに掲載しないんですか?」と聞きました。

これは今もなんですが、気になることがあると気づいたら行動を起こしているのです。考えて準備が整ったら走るというより、走りながら考えればいいやと思う人間で、そもそも会社がホームページを持っていることをこのとき知ったくらいでした。

当時は1ページ更新するだけで何十万円と、かかっていたようで、費用的な面で掲載を検討しているとのことでした。(23年ほど前は、ネットバブルの崩壊を引きずりながら、Yahoo! BBで一般家庭にもネットが急拡大し始めた時代です)

帰り道、私は【はじめてのホームページ制作】みたいなタイトルの本を買っていました。自分で作れるんじゃないかと思ったのです。全プログラマーを敵に回した瞬間です。

当時、半身浴にハマっていた私はコードの書き方や仕組みについて書かれている本を風呂場に持ち込み、お風呂のフタにバスタオルと本を置き、毎日2時間ほど茹でダコみたいになりながら自主勉(?)をしていました。

そして、夏のボーナスを全部つぎ込み、30万以上もするパソコンを父と買いに行きました。パソコンを買ってホームページを作ろうと思ったのです。10代最後の夏、他にやることなかったんか。

数ヶ月間、仕事終わりや土日を使い、本を片手にパソコンへ向かう日々が始まりました。ノーコードとか便利なシステムがない時代、シンプルにコードを書いていました。テキストを少し右寄りにするだけでも大騒ぎでしたが、なんとか公開できるレベルまで上達した気がしました。すると、実践したくなるのが世の常です。

総務部へ行き、ホームページを触らせてもらえるように交渉しました。今から思えば気が狂ってるとしかいいようがなく。

ただ、両親や祖母から褒めちぎられて育った私は自己肯定感だけは人一倍強いのか「私ならできる!私ならできる!」と思ってしまうのです。こんな調子乗りになるくらいなら、もっと厳しく否定して育ててくれて良かったんやで・・・

結果、ホームページを見事にぶっ壊し、社長に激怒され社長室でこの世の終わりと言わんばかりに大泣きをしました。

数秒前まで画面全体に映っていた会社のホームページは、見事真っ白に。上部によくわからん英語が書かれていましたが、翻訳しなくても分かる。「壊れてるけど大丈夫?とりあえず、真っ白にしとくわな」みたいなことが書いてあるのでしょう。

「ごめんなざい…(死亡寸前)」と瀕死状態で泣きジャックリをあげながら、その日は仕事にならず、泣きながら早退するという伝説を残しました。

そして、ホームページの修正を行なってくれる会社に自腹でお金を払い、直してもらいました。結構高かったのですが「いくらかかってもいい!早く元に戻してくれ!」と、未来から過去にやってきてしまった時間旅行者の如く、必死に業者の方にお願いしました。

大失敗で終わったホームページぶっ壊し事件と、行き場を失ったパソコン。これが実は、今のみらいきっての原点だった気がします。

ちなみに購入したパソコンはホームページをつくる練習だけでなく、【見積もり→請求書→納品書→領収書へと飛ぶ簡単なシステム】みたいなのを独学で作り、自腹で買った40枚ほどのフロッピーディスクに落とし込み、各部署に「便利なので、どうぞ使ってくださいませ」とか言いながら、いそいそと配り歩いたりもしていました笑。選挙にでも出るんか

何だかんだと3年勤めましたが、社員の皆さんには本当に、ビックリするくらい可愛がってもらいました。

高校を卒業したばかりの無知がゆえに、謎の失敗談は多数ありますが失敗しても、一つひとつ丁寧に教えていただきました。上司に向かって「お母さん!」と呼ぶ、小学生がやらかしがちな古典的なミスもしっかり刻んでおります。

今から20年以上前、働き方改革なんてものはなく、遅くまで長く働くのが美徳とされていた時代、当時は毎日8時半から深夜22時・23時まで、土日も関係なく働いていました。

私が働いてる時間に友人は大学で勉強したり遊んだりしてるんだよなぁと思うと、勉強せずにはいられない。遊ぶように本気で働くことで、自分自身を奮い立たせていた気もします。

みらいきっては、10年前に私がフリーランスではじめた仕事が少しずつ大きくなって法人化したのですが、いまだに長時間仕事をしても全然平気だったり、商談が得意なのはきっと、この時の経験が活きているのだと思います。

18歳で人より少し早く働き始めた経験は、負けるもんかという悔しさや、評価されるための立ち振る舞い、仕事を取ることの難しさと楽しさを同時に知ることにつながりました。

・仕事はどこからやってくるのか

・収益をどこで得ていて、自分の仕事はそれに貢献できているか

・遊ぶように楽しく、本気で働けているか


そんなことを10代のうちから、疑問にせざるを得ない環境に身を置いていたこと。

その答えを周りに聞いたり自分で考えたり、失敗したりリカバリーしたりした経験はすべて、起業へのステップにつながっていたように思います。

建設会社で働いていた頃は、いつか広告会社へ転職しようとか、教員免許を取って国語の先生になるために通信の大学を受験しようと考えていました。奇しくもその夢は約20年後の2018年、高校で小論文を教える非常勤講師になれたこと、広告の仕事については本業となって叶えることができました。

例え不本意だと感じることがあったとしても、自分が置かれた場所で腐ることなく誰のせいにするでもなく、陽気に一生懸命頑張っていれば、チャンスは形を変え色を変え、何度でも巡ってくるのです。

ただ、建設会社で毎日深夜まで働き詰めだった私はストレスから穀物アレルギーを発症し、退職することになるのですが長くなったので今日はこの辺で。

ABOUT ME
みらいきって
株式会社みらいきって 代表取締役 大阪府茨木市に住んでいます! 子供は3人(高校2年、中学2年、小学5年) 好きな食べ物はグミと鮭おにぎり 短所は午後になると静かになること(眠い)長所は午前中元気なところ。
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