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茨木市に誰もが集まれる場所を作ろうと思った理由

今日は地域に子連れOKのコワーキングスペースを作ろうと思ったきっかけについて書いてみようと思う。これは、茨木市に託児付きのコワーキングカフェができるまでに描いたように、自身の子育て経験が大きいと思う。

その部分は端折るが、もう一つはずっと茨木に住んでいることが大きいと思う。

私は生まれてから39年間ほぼずっと茨木市に住んでいる。ほぼと書いたのは、一瞬だけ結婚して富山県高岡市に住んでいたからだ。

何となく茨木で生まれ地元でずっと暮らしてきた私は2回、茨木シックにかかったことがある。(ホームシックの茨木バージョン)

一つ目は前述した富山県に住んだ時だ。結婚してからすぐ富山県に移り住んだのだが、数日で限界がきた。茨木が恋しくなった。

2回目は会社の社員旅行でグアムへ行った時だ。浮かれポンチなわたしは社員旅行の前日楽しみすぎて寝れなかった。睡眠時間2時間ほどで飛行機に乗ったのが理由かわからないが、飛行機に乗った瞬間腹痛に襲われた。

グアムへ到着するやいなや、自腹で通訳をつけ、病院へ行った。急性腸炎だった。

胃の調子がよくないので、固形物は食べないようにと医者に言われ、現地ではずっとトロピカルジュースを飲んでいた。船上パーティなるものに参加したのだが、みんなが肉を食べ踊り狂う中、わたしは端っこの方で胃を押さえながらトロピカルジュースを飲んでいた。全く愉快でもなんでもないのに、トロピカルなジュースを飲んでいた自分がかわいそうで泣けてきた。

ちなみに自腹で通訳を付けたおかげでお金がなくなり、グアムまで行って飼って来たものは、亀のキーホルダーとサイパンダというパンダとサイが合体したキーホルダーと、ビーサンだ。

↑サイパンダ

帰りに寄ったマーケットでは、ゆかいな黒人の方から「オーー!ジャパニーズガール!」みたいなことを叫ばれ、抱きつかれた。トロピカルジュースしか飲んでいない弱りきった私だが、アイツはスリに違いないと思い込み、抱きつかれながらも大したお金も入ってない財布を握りしめていた。ここらへんはしっかりしている。

同じホテルの部屋だった先輩は、職場恋愛をしており、彼氏に会いに行ってくるね!と言い残し、弱りきったわたしを残しどこかへ行ってしまった。

わたしは部屋から実家へ電話し「もう家に帰りたい、トロピカルジュースばかり飲んでいる。黒人に抱きつかれて怖かった。先輩はいちゃこいてやがる」と泣きながら母親に助けを求め、母親はそんなわたしの珍道中を大爆笑しながら電話を切った。もう誰も信じない。

翌朝、チェックアウトの時、部屋から国際電話をかけたやつがいると名探偵コナンばりに疑いをかけられ、専務にこっぴどくしかられた。グアムなんて二度と行くもんか。

そんなこんなで、関空からのバスが茨木インターで降り、いつもの茨木の風景を見たとき、わたしは心の底から茨木市最高じゃねーかと思った。グアムではなく、茨木市に来る人の首にハイビスカスを渡すべきだと思う。

話はかなりずれてしまったが、とにかく私は寝ても覚めても茨木市に住んできた。娘たちは、私が通った幼稚園〜中学に通っている。

だから、ずっと住んできた茨木の地域活性化をしたいのか?と思った人もいるかもしれないが、そんなことはない。

わたしは、自分と、自分の愛する家族のことに精一杯で地域の活性化だなんて、そんな規模感では考えたことはない気がする。ない気がするのに、コワーキングスペースを建てたことで「地域の活性化のために動かれて素敵」みたいに言われることが増えた。

言い直したり訂正するのも大変そうなので「そうなんです!」みたいな、したり顔でいる。とんだ嘘つきである。

ただ、茨木が今よりもっと住みやすい街になるといいなとは正直思う。

1番しっくりくるのは、自分がずっと暮らしてきた街、これからも暮らす街の価値を作るのは自分でありたいということだ。

他力本願ではなく、自分の暮らす町の価値くらい自分で作りたい。娘たちもこれから先茨木市に住み続けるかもしれない。だったら、その場所は暮らしやすい方が嬉しい。

いつだって、わたしを動かす原動力は大きな力ではなく、小さな個人的な感情だ。

そのためには、かつての自分が描いた「あったらいいな」を形にすることだと思った。

子育てをしながらの起業は大変だった。子供が小さいときは孤独を感じることも多かった。働くのが大好きだったのに専業主婦になってしまい、キャリアを断絶された気になってしまい前に進めなくなってしまった。

それならば、子連れでもチャレンジを諦めなくていい場所を作ろうと思った。

誰かが作ってくれるだろうと、自分の夢を誰かに預けるのではなく、その当事者になる人生って楽しいだろうなと思った。

お店は阪急本通り商店街に建てることが決まった。決まってから、仕事で関わらせていただいている山崎屋の土肥さんに付いてきていただき、商店街の皆さんに挨拶まわりさせていただいた。お忙しい中みらいきってのために挨拶回りについてきてくださったことは一生忘れない。

名刺がなくなり、翌日に持ち越すくらい挨拶まわりをした。

出会う人たち皆さん、最高にいい人ばかりだった。絶対お店行くよと言って下さった鞄屋の店主。商売は難しいで!何でも教えたるからな!と言ってくださった、漬物屋のおばちゃん。

ここには書ききれないが、心の温かい人にたくさん出会った。

ここでお店を開かなければ、関わることのなかった人たちだ。人は関わったからこそ、その人や街のために何かしたいと思うのだと思う。

関わる人や場所が増えれば増えるほど、相手のために何かしたいという人が増えて、優しい世の中になるのだろうと思う。

今の世の中、デバイスでつながり合えるけれど、温度感のあるつながりの中でしか生まれないものもある気がする

みらいきっても、そんな、関わりやつながりが生まれる場所であってほしいし、そうなるよう動き続けようと思う。

ちなみに、生まれてからずっと茨木市に住んでいる私の思い出はやはり、茨木市の中にある。

小学生の頃、姉が滑り台から転げ落ち骨折した、ジャスコのキッズ広場。

ばあちゃんが日舞を教えていた市民会館、いとこのお兄ちゃんが海パンを忘れてパンツのまま入った中条の市民プール。お正月に福袋を買いに行ってたダイエー。母親と買い物中、迷子になって店員さんに保護されたイズミヤ。

旦那と出会ったのも茨木市。

全部茨木だ。

自分の住んでいる街の価値は、自分で作りたい。

それが巡り巡って、誰かの価値あるものになればいいなぁと思う。5秒くらいそう思った。

終わり。

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