今日から数回に分けて、オープンまでの道のりやアレコレを、忘備録も兼ねて書いていこうかなぁと思う。
今回はオープンを決意するまでとしてからの話。時間に制限を設けて、書けるところまで書くスタイルで…!
まず、子連れOKのコワーキングカフェを作りたいと思ったのは、自分自身が末っ子1歳、次女3歳、長女6歳と、子育て真っ只中に起業した経験が大きいと思う。
今から8年前。長女6歳、次女3歳、末っ子1歳。これくらいのときに起業した。(現在、中学3年生、小学6年生、小学3年生)
当時は、「集客しなきゃ!」「おむつかえなきゃ!」「仕事をしなきゃ!」「トイトレしなきゃ!」「利益…」「幼稚園のお迎えー!」みたいな感じで、とにかく毎日がカオスだった気がする。あと、結果も残せていないのに周りに頼るのは嫌だという持ち前の頑固さを生かし、隣に住む実家の両親にも起業したことは言わなかったし、仕事を理由に子供を預けるなんて言語道断だと思っていた。
ちなみに両親が、私が会社を起こしたことを知ったのは今年(2022年)だ。
なんとなくだが、有言実行より無言実行に惹かれてしまう変態なため、事業が軌道に乗ろうが、法人化しようが、夫以外には言わず黙々と仕事を続ける日々。
法人化した2020年、実家の母に「ちゃんとパートとか行って家計を支えなあかんで!」と言われたときも「あ〜、パートね〜、考えとくわ〜」と返していた。なので今年、私が会社を経営をしていると知った母親と父親は大いに驚き、喜び、そして私はそんな父と母を見て(こんなに喜ぶんだ〜もっと早くに言えばよかったな〜)と思った。
話はずれてしまったが、子育て中の起業もとい、起業すること自体、自分で仕事を生み出し、それを広め、買ってもらうというプロセスを作り出すのは並大抵のことではないと思う。
私が北川景子だったら「買って♡」と言えば、怪しげなドリンクであろうとも売れる自信があるけれど、私は北川景子ではない。
集客の難しさ、厳しさ、子育てをしながら働くことの大変さはこの8年で嫌というほど痛感してきた。
そんなこんなで子育て中でも起業したり、仕事ができる環境、地域の人たちとつながって、何かを生み出せる場所を作りたいな〜と思ったのが4年前。
イベントやワークショップ、セミナーもできて、仕事もできて、人や仕事ともつながれて、子育て中の人ともつながれる場所を作りたい!
という、ごちゃ混ぜな夢を希望に変えて、当時会員にもなっていなかった商工会議所に相談へ行ってみた。
2018年、個人事業主3年目の出来事である。
夢と希望を熱く語ったが、「その施設を作るための資金は?」と言われ「資金とは!」と大真面目に質問を返した。バカもここまでくると可愛いらしい。
結果、今より売り上げ・利益を伸ばして、自己資金がたまったときにもう一度考えてみるといいかも?と言われた。「売り上げにしてどれくらいでしょうか!」と聞いたところ
「う〜ん…年間で1,000万!というのは冗談で、今よりもう少しという感じですかね?」とアドバイスを頂いた。
なるほど。
単純なわたしは、当時のわたしを見て冗談だと言われた1,000万円の売上げを年間で作れたら、この夢は実現するのか〜と思った。(実際はそんな簡単なものではない)
その2年後、目標とする利益を上げ、法人化した。
そして、その売上を達成した数ヶ月後に、夫に自分の頭の中で描いている構想を語った。
夫の反応は以外なものだった。
「面白そう!茨木市にそんな場所ないもんな!面白い!面白い!」
と全力で面白がってくれたので、私も愉快になってきて、早速物件探すぜー!みたいな、頭の中ではお祭り騒ぎが起きていた。
ただ、
・立地
・居抜きかスケルトンか
・広さ
・費用
で「ここがいい!」という場所にはなかなか巡り会わなかった。イベントやセミナーもできるのであれば、最低100平米の広さはほしい。
費用も高いのはつらい、立地もよくしたい、全てを叶えようとすると、どこかに綻びがくるのを実感した。
2020年はコロナで物件が空いているという情報を聞きつけ、さまざまな物件を見た。
理想的!綺麗!でも料金高っっ!
広い!でもここ、幽霊出ませんかね?という怪しげなシミのついた物件
など、物件をみるのは単純に楽しかった。
が、理想的な物件に出会うことなく、2021年は国家資格キャリアコンサルタントの受験勉強と仕事、子育てに追われ、物件探しは一時中断した。
やはり無謀な夢を見るのはやめて堅実に生きようと思い始めていたが、暇さえあれば茨木市のテナント情報を調べている自分がいたので、やはり諦めの悪さは群を抜いている気がする。
おかげで、茨木市のテナントや物件、不動産用語みたいなものに詳しくなってしまった。
そして、最終的に出会ったのが今の物件。
はじめて内見した日に撮った写真
・茨木の中心地でもある市役所から徒歩3分圏内。
・阪急茨木駅から徒歩5分。
・商店街の一角
・100平米
テナント料はギリギリ出せる範囲ということでそこはキツかったが、一目見て、ここだ!と決めた。文章にしてしまうと、なんと軽いことか…
本当は、どうする?どうする?!(胃がキリキリ)えいや〜〜〜!!!(胃がキリキリ)みたいな、本格的に決断するまで胃がキリキリしたし、決断してからも吐きそうだったが、飛び込むための勢いは必要だった。実際は飛び込んでからも吐きそうだった。
未来なんて見えるわけもないし、やってみるべきか、無難に生きるべきかは正直ものすごく悩んだ。
ただそのときは、とにかく飛び込んでみてから苦しんでみるのもいいと思った。苦しむかどうかなんて、それこそ今の段階ではわからないし、もしかしたら、ものすごく楽しいことが始まる序章かもしれないし。
その場で仮契約まで済ませ、不動産屋さんに「この場で仮契約するので、工事が始まるまでの期間は家賃をタダにしてほしい」と言ってみたり、「ここは、いわく付きではないですか?」と失礼なことを聞いてみたり「あといくら安くなりますか?」と値下げ交渉してみたり、うるさい客だと思われていたと思う。
ただ、そのうるささのおかげで、工事が始まるまでの期間、家賃をタダにしてくれた。言ってみるもんである。こっちだって必死のパッチなのだ。
そこから自己資金で賄えない分を、銀行で融資していただくことにした。
融資なんてはじめてなので、よくわからない。わからないこと自体が、もはやわからない…そんなことを思い悩んでいた日、その日、たまたま交流会でお会いした知人の中西さんに「融資ってどうやったらいいんですか?」と聞いてみた。
ちなみに、この時期は会う人会う人に「融資ってどうやるんですかね」と、心の声ダダ漏れの質問を投げていた。この時期、わたしにこのような質問を突然投げかけられた皆さんの気持ちを、いま代弁します。「知らんがな」
そんな皆さんからの「知らんがな」を浴びる中、「知ってます」という返答をくださった方が、中西さんだ。「銀行の支店長さんに知り合いがいますので付いていきますよ!」と言ってくださり、事業計画まで一緒に立ててくださり、あれよあれよと銀行に行く日になった。
ぶいえいとで、相談に乗ってもらった日
夢を形にしたい気持ちと、夢を諦めたらどれだけ楽だろうかという気持ちが日に日に、交互に押し寄せていたこの時期、中西さんが私の夢の後押しをしてくれた。
その後も、こんな気持ちが何度も何度も繰り返し訪れたが、そのたびに誰かしらが私の夢を後押ししてくれた。
そこからは事業計画を書き、内装についてや、さまざまな手続きや申請を繰り返す日々がはじまった。
この時期はとにかく大変だった記憶しかない。
いまになり、何が一体大変だったのか、心がすり減っていく気がするのはなぜか、冷静に考えてみた。
この2〜3ヶ月は、よく分からないことに対してよく分からないなりに勉強し、調べ、決定を下すことの連続だった。それが1番疲弊したのだと思う。
人には、自分で処理できる範囲の器みたいなものがあると思う。その器がいっぱいになり、溢れてくると焦ってしまうのだと思う。
私が始めたことだから当たり前なのだが、「あれはどうしたらいい?」「これはどうなってる?」と各所から聞かれる。そして分からないなりに一生懸命ベストな回答を探し、ベストな回答とは何かわからないなりに決定しなければいけない。
そんな時も、やはり周りの人には本当に助けられた。今回はコワーキングスペースが完成するまで時系列で書いていきたいので、お世話になった方々への記事はまた改めて書こうと思う。じゃないと書きながら感謝の気持ちが溢れて泣きくずれてしまいそうだ。
融資は実行までに割と時間がかかったが、最終的には本業でしっかり稼げているので、そこから補填できるし、地域活性に貢献できる事業として目標としていた融資額をほぼ受けられることになった。
さて、この問題で一番怖かったのは夫であろう。
妻がある日突然、借金持ちになるのだ。
しかし一つ救いだったのは、私は早くに結婚しており家を購入したのは24歳のとき。家のローンは49歳で終わる。もし、もし事業に失敗して幾分か借金が残っても、返していける自信はある。
と、夫に口八丁手八丁に語り、「怖がるな!前を向け!」「やればできる!」「ガンガン行こうぜ!」と夫を応援した。お前が言うな。
こんなやりたい放題、夢ばかり語り、追いかける妻がいる夫も大変だと思う。
さて、もともと8月にはじまる予定だった工事は、融資実行のタイミングで9月からはじまった。
はじめて工事現場を見に行った日
夢が形になるのは単純に嬉しかった。
工事の邪魔になってはいけないと思いつつも、何度も何度もお店へ足を運んだ。通りすがりのふりをして、写真を撮ったりもした。窓から顔を覗かせたりもした。誰かに見られると恥ずかしいので、キョロキョロしながら周囲を歩き回った。変質者の気持ちが少しわかった気がする。
実家の父母もお店を見たいと言うので連れて来たところ、想像以上に喜び、母は周囲のお店へ出向き「娘がお世話になります」と挨拶をしていた。父は自分が払うつもりもないお金のことをしきりに心配していた。
私は昔から淡々としていて、誰かに相談して何かを決めるということをしてこなかった。父と母にも同様で、何をするにも相談せずに自分で決めることが多かった。理由は特になく、ただ、アレコレ聞かれたり心配されるのがめんどくさいな〜と思ってしまうからなのだが、今回嬉しそうにお店を眺める父と母を見てこれからは色々伝えたほうがよいのかもなーと思った。
たぶん、面倒になって伝えないのだろうけど。
バババババーっと、いろいろ振り返りながら書いたら結構な文字数になってしまった…眠い…もうこんな時間…(ただいま23時半)
もう前半と後半に分けよう…誰が読むのか知らんけど。
終わり。