これまでのお話

私は24歳で結婚・妊娠・出産をしたのですが、結婚の決め手になったのは夫の富山への転勤でした。
夫から「一緒に富山に来て、同棲しよう」と提案されたものの、私は「親が許さないと思うけどなぁ…」と、親のせいにしてやんわり断っていました。
どんだけ同棲したいのか、夫はある日、我が家で中華冷麺を食べながら父にこう切り出しました。
夫「同棲を…(モニョモニョ)」
父「結婚するわけでもないのに、同棲は賛成できない」
夫「それだったら結婚を…」
私の父にプロポーズしていました(なんやねん)
そんなこんなで夫は1人で富山へ行き、1年間の遠距離の末に結婚しました。結婚式の準備中に、長女を妊娠し、結婚式はつわり真っ最中で、途中で気持ち悪くなりゲロ退場。私の人生、だいたい大切な節目で何かとやらかします。
いろいろ端折りますが、ここから8年間の専業主婦期間に突入します。結論からいうと、専業主婦の期間は最高に楽しかったです。
今こうして働いていると「保育園に預けてバリバリ働いてたんですね」と思われがちですが、ところがドスコイ。
普通に専業主婦していました。
何でもハマりやすい私は、まず家の掃除にハマりました。
肌が弱いので、重曹とお酢(時々クエン酸)での掃除が良いと知り、さっそく本屋で関連書籍を購入。
「ここは重曹」「ここはお酢」「排水溝は重曹を振ってからお酢!」と、本片手に朝から家中を掃除していました。
新婚早々、重曹とお酢を持ってうろうろと掃除して回る私を、夫はどう見ていたのでしょう。松井和代に見えていたかもしれない。
ちなみに、今もお掃除は大好きです。
料理はレパートリーを増やすために、本屋で立ち読み秒速インプットを行い(迷惑な客)帰宅してから秒速アウトプットを行っていました。
実家の母に「おでんの作り方がよく分からない!」と電話越しに指示してもらいながら作ったおでんは、激マズでした。母親と私のみの伝言ゲームなのに、全然うまく伝わってない。
激マズだけど、科学反応が起きて美味しく感じられるかもと開き直って夕飯に出したら、苦虫を噛み潰したような顔の夫がいました。化学反応は起きませんでした。
ちなみに、おでんの不味さがトラウマになり、5年程おでんを作れませんでした。『おでん=実家でのみ、食べられる贅沢品である』と、うまい具合に家族に認知させました。
ブランディング大成功の事例です(やかましい)
家で食べる時も実家からお鍋ごと持ち帰る、鍋泥棒みたいなことをしていました。今でもたまに鍋泥棒はしています。
家事はそんな感じで、色々やらかしながらも楽しく取り組んでいました。
そして、子供が生まれる頃に大阪に引っ越ししたのですが、子育ても楽しかったです。
長女が1歳2ヶ月で歩けるようになってからは、毎日のように公園へ行き、ひたすら娘ウォッチングをしていました。
この頃も引き続き掃除にはハマっていて、娘がお昼寝したら家中どこかしら掃除していました(笑)落ち着きがない…
そして離乳食が終わる頃には、子育て広場で開催された食育セミナーをキッカケに、食育大事!と思い、食育インストラクターの資格取得。お菓子作りにハマったり、パン作りにハマったり、圧力鍋で色々なものを作っていました。
これらも娘のお昼寝タイムにチマチマやっていたので、本当に落ち着きがないんだなぁと思います。
娘が起きると、おばさまたちから「可愛いね〜」と言われるのが嬉しくて、暇さえあれば近所を無駄にウロウロ(散歩)していました。
そうこうしてる間に、26歳のときに2人目誕生。よく喋り誰とでも仲良くなる長女とは正反対の、大人しくて人見知りの次女は、「1人で生きてゆきます」みたいな雰囲気を全身で放ち、公園へ連れて行っても1人でしっぽり遊ぶ子でした。
そして29歳の時に3人目が生まれ、この頃はバギーに次女、抱っこ紐に末っ子、長女と手をつなぎながら移動するスタイルが鉄板でした。
地元に住んでいるということもあり、それぞれの子どもたちのクラスには、私の幼馴染がいたり中学校の同級生や高校生からの友達がいたり、近所を歩いたら、私が小さい頃から可愛がってくれたおばちゃんがいて、3人の子育ては大変でしたが、みんなが助けてくれて、楽しい子育て期間だったなぁと改めて思います。
それぞれの子供の保護者とは今でも仲良く、年に1〜2回は飲みに行って近況報告したり、この町で子育てできて本当によかったなと心底思います。
ちなみにPTA役員は8年連続、通算すると11年、何かしらの役員をしていました。(今も中学校のPTA役員をしています)
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」
という徳島県の阿波踊りで使われる有名な掛け声がありますが、それに近い気持ちで、「面倒だけど飛び込んでみたら案外楽しい」ことって世の中にたくさんある気がします。
何でも効率的に過ごすより、非効率なことの中でしか味わえない感動や楽しさもある気がします。
子育てなんて、壮大な非効率ですし。
専業主婦として過ごした8年間は、壮大な非効率の中で、時間が止まったかのように思えた時もありましたが、この期間がキャリアの一部だと思えたのも一生懸命自分なりに過ごせたからだと思います。
あとこの期間で、独身時代の価値観がひっくり返るくらい変わりました。
この期間がなかったら、子育てしてる人の大変さや辛さ、家事と育児の両立の大変さに気づかなかったと思います。『子育て世代に優しい』という社会の認識と、実際子育て中の人が感じる『本当の優しさ』との間にある、社会との微妙なズレや温度差にも気づけなかったと思います。
ただ、そろそろ働こうかと思い始めた矢先に、次女が吃音になり、在宅での働き方を模索し始めます。この模索した結果が起業につながるのですが、それはまた今度~!
