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みらいきってができるまで〜転職編

前回:みらいきってができるまで〜18歳OL編


仕事自体は楽しかったのですが、深夜労働が続いたことによるストレスから、ある日突然、穀物アレルギーを発症しました。

誤解を招きそうなので補足しておくと、私自身はストレスを感じにくいタイプなのか、元気に毎日働いていました。寝不足でふらつくことは多少ありましたが、特段しんどさは感じていなかったです。

ただ、穀物アレルギーの症状は強烈でした。食後すぐに全身に蕁麻疹が出たり、呼吸が苦しくなったり。次第に、出社するだけで症状が現れるようになり、お医者さんから「休職しなさい」と告げられました。

とはいえ、引き継ぎもなしにいきなり休むわけにはいきません。社員のみなさんはもちろん、工務店やクライアントにも迷惑をかけてしまいます。

会社に事情を説明し、採用を進めてもらうことに。薬を飲みながらでしたが、引き継ぎをスタートできました。

それから2ヶ月後、いよいよ退職が見えてきた頃のこと。新しく入ったスタッフが突然、「のりこさんが退職したら、この上司とやっていく自信がないので辞めたい」と言い出しました。

そして上司も上司で、「こいつと一緒に働くのは無理や」とか言い出してきました。お前って奴は…

結論、男女のいざこざが原因でした。

恋に落ちるスピードが月9やないか。

というわけで、新スタッフは退職。まさかの振り出しに戻りました。上司は「やっぱりのりこ君が安心するな〜」とか言っていました。

キッショ!

ということで再びスタッフを募集し、また引き継ぎが始まりました。デジャブ感。

体が壊れ始めてから約半年、途中で「もう辞めたろか」と思ったこともありましたが、最後はちゃんと引き継いで、送別会では大泣きして退職しました。

退職後1ヶ月ほどは、友達と遊んだり、自宅でドラクエしたり、読書したり。働いていたときにできなかったことを満喫していましたが、だんだんと暇になってきて「そろそろ働くか…」という気持ちに。

ただ、症状が完全に落ち着くまでは長時間労働NGだったので、アルバイトから再スタートすることに。求人を見てもまったくワクワクせず、「自分は何がしたいんだろう…」と完全に迷走状態。21歳、人生の分岐点。

そんなとき、目に留まったのが「小さな会社です。社長の右腕となってすべての業務をこなすガッツのある方募集」という求人。

前職では営業部と技術部という”部分”に特化した仕事でしたが、「全部の業務ができるって面白そう!」と単純に思い、すぐ電話。即採用となりました。

その会社は、ご夫婦と息子さんで経営している、カタログギフトと高校の制服を卸している会社でした。

朝は社長のスケジュールを確認して同行。同行しない日は受発注からカタログ制作、経理、総務、クライアント対応まで全て担当させていただきました。毎日決まった業務だけでなく、イレギュラーの対応も求められるため頭は常にフル回転でした。

個人的には、カタログページの制作のお仕事が最高に楽しかったです。

初めて文章とデザインの両方を任された日のことは今でも覚えています。「どんなイメージがいいですか?」と聞くと社長の返事は一言。

「いい感じで作って」

なんということでしょう。何言ってるかサッパリわかりません。

しかし私は知っているのです。「いい感じで」と言う人ほどこだわりが強く、あとから細かくダメ出しをしてくることを。なぜなら、私もそのタイプだから。(お前もかーい)

「いい感じじゃわからないです!イメージは?テイストは?」と若干キレ気味で粘っても、社長からは露骨に嫌そうな顔をされました。

そこで私は大学ノートと雑誌を数冊購入し、

「フォント:スッキリ/詰め詰め」

「カラー:はっきり/モノトーン」

「テイスト:シック/かわいい/シンプル」

など、項目ごとに似たテイストの雑誌の切り抜きを貼り、「社長の頭の中を可視化するノート」を作成しました。

そしてそのノートを社長のデスクに持って行き、

「秋号のカタログですね。まずテキストはどれがイメージに近いですか?指さしてください!指さすだけで良いです。そこー!鬱陶しそうな顔しない!!次にカラー、こんな感じはいかがですか?」

と、完全に誘導尋問スタイルで“いい感じ”の正体を解明していきました。

掲載文章は必ずテイストの違うもの2パターン作り、「どっちが良いですか!」と選択を詰め寄るスタイルで乗り切りました。

当たり前ですが納期は死守しなければいけませんし、誌面なので少しのミスも許されません。社長に気を遣ってる場合ではないのです。呑気に「いい感じで~」と言ってる社長をキッと睨みながら、日々尋問を繰り返していました。

数ヶ月もすると社長の頭の中にあるイメージみたいなのが何となく分かるようになり、尋問せずともスムーズにことが進むようになりました。

一方で、苦手だったのが経理。

今のようなクラウド会計ソフトはなく、手書きの出納帳。経理の仕事は正直、全然楽しくなかったです(笑)

月末には税理士さんが来て帳簿チェックや資料作成を一緒にしていました。経理は苦手でしたが、税理士さんと行く毎月のご飯は唯一の楽しみでした。

この頃にはアレルギー症状もすっかり落ち着いていました。

体調もすっかり良くなったこともあり、また、前職は深夜までの労働だったので、17時に退社できる今の生活に余裕ができ、「通信の大学に行こう」と目標を立てました。22歳、人生の迷走状態から少しだけ抜け出し、目標を見つけました。

ただし、貯金はほぼゼロ。一瞬にして目標は絶望に変わりました。

前職中、夏のボーナスで30万円以上もするパソコンを買ったり、会社のホームページを壊して20万円の修理費を払ったり、海外旅行に行ったり…いろいろやらかしてたので、まずは資金集めです。

そこで、家の近くにできたスポーツ用品店で、掛け持ちで働こうと考えたのです。家が目の前だったので思い立った瞬間にお店へ行き、まさかの直談判(笑)

「求人出てますか?明日からでも働けます!」と『千と千尋』ばりの気迫を出した結果、即採用されました。

9時〜17時:事務員

18時〜21時:スポーツ店

土日は朝〜15時までスポーツ店

という謎に過酷なスケジュールで、遊ぶ暇は皆無。でも、お金はしっかり貯まりました

このバイト先で今の夫と出会い、交際がスタートしました。

はじめての接客業でしたが、楽しい思い出しかありません。ただ、1年ほど勤めたある日、店舗が閉店することになり全員退職となりました。この会社で正社員として内定をもらっていた夫は「富山県高岡市」に転勤することになりました。

写真は閉店時のもの。夫もこの写真のどこかに写っていますが、顔出しNGで。

転勤ということで同棲という話も一瞬出ましたが、実家から出たくない&仕事を辞めたくなかった私はあっさり大阪に残り、遠距離恋愛が始まりました。

この頃は、1〜2ヶ月に1度泊まりで富山に行くのが楽しくて、サンダーバードに乗って駅弁とか楽しみながら遠距離恋愛を大いにエンジョイしておりました。

なんだかんだと2年付き合い結婚。私も富山に行くのですが、その話は次で・・・

みらいきってができるまで〜18歳OL編 私のキャリアは高校卒業してすぐに始まりました。 家庭の都合で大学進学への道は叶わず、高校を卒業してすぐに就職したからです。 ...
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みらいきって
株式会社みらいきって 代表取締役 大阪府茨木市に住んでいます! 子供は3人(高校2年、中学2年、小学5年) 好きな食べ物はグミと鮭おにぎり 短所は午後になると静かになること(眠い)長所は午前中元気なところ。
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